「法人概要」

「代表メッセージ」

NPO法人 UNiSON 代表理事
芳村 潔政
人生の転機

その日は突然来ました・・・
中学2年生の秋。
私と姉を散髪屋に送ろうとしていた母が突然玄関で足を踏み外し、バランスを崩して転倒。頭部を強打し大量の出血。その日から我が家の生活は一変しました。
母は右半身に麻痺が残り、高次脳機能障害による失語症。商売人の家庭に育ち、人を喜ばせるのが好きだった母が、人と接するのを拒み、涙を流す日々が続きました。
徳之島にはそのころ専門的なリハビリを行える病院もスタッフもおらず、鹿児島での長期入院を余儀なくされました。

当時、野球に没頭していた私はさまざまな葛藤のなか精神的不安から身体が固まり近くの選手にボールが投げられなくなる「イップス」という症状に悩まされながらも、仲間に助けられ、なんとか野球を続けていました。
入院生活を続ける母の楽しみは、鹿児島県大会で野球をする私たちを応援に来ること。(父が母を車椅子に乗せて毎回球場に連れてきてくれました。)それが母のリハビリの原動力となりました。
3年生最後の夏の大会。10年以上ぶりにベスト16に入り、「島から甲子園」と徳之島が沸き立った時のことを今でも忘れません。

野球を引退後、母の担当だったリハビリの先生からの後押しもあり、私は作業療法士を目指すことに。色々な角度から幅広い方への支援が出来ることに魅力を感じ、それまで全然してこなかった勉強に必死で取り組みました。
資格取得後は精神科や一般科を経験し、仕事の傍らスポーツ医学を学び、そんな中音楽療法士の妻と出会い、子供を授かったことをきっかけに徳之島に戻りました。

故郷、徳之島で

島に帰ってすぐから、スポーツ障害予防の活動を個人的にしていく中で、救急を専門とする齋藤学医師と出会い、徳之島メディカルサポートチームを結成。
それからしばらくして子供たちの障害予防を町と連携して行える仕組みも完成しましたが、任意団体での活動はいつまで続けられるかという不安もありました。

千葉県で音楽療法士として様々な障害を持つ方々と関わっていた妻は、徳之島に住み始めてからも、多方面で活動していましたが、支援が必要と思われる方に完全な自己負担で音楽療法を提供することの限界を感じていました。

徳之島の病院内でのリハビリは私が高校生だった当時と比べ充実してきている一方、地域に目を向けると、若くして障がいを負った方々の就労支援や、困り感を抱えた子どもたちへの支援がまだ十分に足りていない現状でした。

新たなスタート
法人立ち上げから現在→これから

それらの状況を打開すべく、より手厚く専門的な支援を地域に広げたいということで、想いに賛同してくれた仲間と法人を設立するに至りました。

立ち上げて数年で、多くの子ども達や地域の方とご縁をいただき、私たち自身学ぶことがたくさんありました。
学校や園と連携し、様々な事例と向き合い、変化や喜びを共有することも出来ました。
しかし、それは始まりに過ぎず、やればやるほど求められるものは大きく複雑になっていくこと…と、同時に、私たちだけでできることには限りがあることを自覚しました。

だからこそ、徳之島の中で継続して学びあえる場として『徳之島子ども支援学会』を立ち上げ、予防的な視点や様々な社会問題、未来の可能性について、「自分ごと」として捉えられる人たちとの繋がりを作ってきました。
今後もまだ手が届いていない分野にフォーカスを当て、子どもから大人までまるっと支援できる体制づくりを多くの方々と連携しながら構築していきたいと考えています。 リハビリ難民の当事者家族として悔しい思いをしてきた自分だからこそ。
人口減少により縮小や削減が当たり前になっていくこの空気感だからこそ。

離島のハンデを脱却し、この徳之島がいつか【リハビリの島(希望が持てる島)】となることを願い、一つ一つ前進していきたいと思います。

「法人理念」

  • 生きていてよかったと思える社会を作る
  • 多様性が認められる寛容な社会を育てる
  • 愛が循環する社会の実現に貢献する

「法人目標」

真ん中に愛がある法人でありたい

この法人がある徳之島は、「長寿子宝の島」として知られ、子どもが生まれた時も、誰かが亡くなった時も、
“みんなで迎え、送り出す”という文化が今もなお色濃く残っています。
離島という立地上、不便なことも多いけれど、大変なことも“結=助け合い”の精神で乗り越えてきた歴史があります。
都市部では失われつつある人と人のつながりが、ここ徳之島にはある。

人はつながりの中でしか生きられない
だとすれば、つながりが希薄になっていく一方である現代社会において、
「生きる喜びや幸せ」を感じることは難しいのではないか。
人がつながりを失うとどうなるか
強い孤独感、寂しさは、悲しみや怒りに変わり、
自分を傷つけたり、誰かを傷つけたりすることに繋がるかもしれない。
その先にある絶望や憎悪が自殺や戦争に繋がるかもしれない。
そんな未来を変えるための一つの手段として私たちがやれること。
やりたいようにやれない、理解してもらえない、そんな生きづらさを抱える人たちに寄り添い、
どんな未来を描きたいかを一緒に考え、伴走すること。

徳之島を幸福の島に、平和のモデルに

「沿革」

2013
島内の高校野球部を中心に、スポーツ傷害予防の活動やメディカルサポートを開始。
2019
March
法人設立
May
キノコにじいろクラブ開所
伊仙町木之香生活館にて、放課後等デイサービス受け入れ開始
July
児童発達支援事業、保育所等訪問事業開始
2020
May
キノコにじいろクラブ 現在の農業高校跡地に移転、ペアレントトレーニング開始
October
鹿児島県知事、大島支庁長、県議会議員視察
December
オンライン療育開始(新型コロナ特別措置 ※2023年5月に終了)
2021
January
あまみ地域づくり褒賞受賞
March
別宅なないろ活用開始(マルシェ、個展、ペアトレなど)
July
第三者委員会設置
October
アトリエ改修完了、活用開始(研修、フリースペースなど)
November
第1回徳之島子ども支援学会開催(この年より毎年11月に継続開催)
2022
April
伊仙町スクールソーシャルワーカー派遣
July
就労支援準備としてKenkichi Coffee販売開始
卒業生向け音楽療法開始
October
伊仙町乳幼児検診にスタッフ派遣
2023
March
作業療法ジャーナルにて記事掲載
May
伊仙町赤ちゃん教室、親子スマイル教室にスタッフ派遣
July
鹿児島県議団視察

お問い合わせ

以下のご相談はお問い合わせフォームにてお問い合わせください。

  • 当施設にご興味のある方
  • 採用への応募を検討する方
  • その他、ご質問やご相談がある方